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卞在昌宣教師逮捕をうけての緊急声明

2010年1月28日
FOE(Faith Of Esther)代表 毛利陽子

2010年1月28日、宗教法人「小牧者訓練会」の代表者卞在昌宣教師が、
茨城県警捜査1課とつくば中央署に、準強姦の疑いで逮捕されました。

FOE(Faith Of Esther)は、
 ①卞宣教師の不当行為と被害の真実を明らかにし、
  神様の義を共に見る。
 ②今同じような被害にあっている人々を一刻も早く救出し、
  回復できるようにサポートする、
の2つを目的に設立した会です。

私たちは、今回の逮捕、取り調べにより真実が明らかになることを心から願うとともに、 今も被害に遭っているであろう人々が1日も早く自分の置かれている状況や立場を理解し、 牧師の言うがままではなく自分で考え、自分で感じることの大切さを取り戻して欲しいと願っています。

今後もFOEは、①訴えることはしないで回復の道を歩む人の友人となり、 ②民事裁判原告となっている姉妹たちの精神的支えとなり、 ③これから出てくる人たちの心身両面のサポートを行っていきたいと思っています。

卞宣教師の不当行為による被害は性的な被害にとどまらず、 精神的苦痛、人間不信、思考の混乱、人間関係の破壊と、 当初考えていた以上に大きな痛手を多くの人が受けています。 また、当事者だけでなく家族にまで苦しみが広がっています。 これらの痛みから癒され回復することで傷を受ける前の状態に戻るだけではなく、 今回の体験を通して更なる成長した一人ひとりになれるよう、 互いに助け合ってゆきたいと思っています。

回復のため、日本の多くのキリスト教会や牧師先生、皆さんのお祈りとご支援を必要としています。どうぞ、今後とも私たちの活動にご理解いただき、ご支援賜りますようお願い申し上げます。


祈祷課題
  1. 警察、検察の前で被害状況を語る姉妹たちの心が守られますように。
  2. いまだに教団内部におられる人々が事情聴取で真実を語ることができますように。彼らが主の声を聞き、癒されますように。
  3. 語ることのできない被害者やご家族の心が守られ癒されますように。
  4. 私たちが主の御声を聞き、御心に従うことができますように。

牧師の逮捕をうけての緊急声明

2010年1月28日
ミラノ賛美教会牧師 内村伸之

2010年1月28日、宗教法人「小牧者訓練会」の代表者卞在昌(FOEはこれまでB氏と表記)が、 茨城県警捜査1課とつくば中央署に、準強姦の疑いで逮捕されました。

日本のキリスト教会史において、牧師が準強姦の疑いで逮捕されるという事件は極めてまれです。 今回の逮捕事件は2005年4月6日 聖神中央教会の主管牧師であった金保牧師が その地位を利用して強姦、同未遂、準強姦を常習的に犯行を重ねたとして 逮捕された事件(懲役20年の判決が確定済み)以来の出来事です。

卞代表や教団、および関連団体に対する「セクハラ民事裁判」と「パワハラ民事裁判」が それぞれ、2009年10月および2010年1月より始まっており、これらの原告団を支援するために 「モルデカイの会」がスタートしました。FOEとしては裁判のことは「モルデカイの会」にゆだね、 今後も、卞代表と宗教法人「小牧者訓練会」から被害を受けながらも、 裁判という手段を選ばなかった女性達の救出と癒しをも目的として、それらの人々の 心の健康の回復、そして教会の回復を願って活動を続けていきます。 今でも深く傷を受けたまま、鬱状態にあるもの、教会にも集えない人々が 多くいるのが現実です。

「牧師が準強姦罪で逮捕」という事件を私たちはどのように捉え、 また祈っていけばよいのでしょうか? FOEは活動当初から、今回の事件と聖神中央教会事件との 本質的な類似性を感じていました。マスメディアを騒がせた聖神中央教会事件から、 教会が学びとったことは何だったのでしょうか?

警察が刑事事件として動かなければ牧師の処分ができないのであれば、 また被害者自身が重い負担を負って、民事裁判という手段で名誉回復を 目指さなければいけないのであれば、キリストの体である教会は、自らを顧み、 神の前に悔い改めて再スタートするという「自浄作用」を持っていないと言わざるを得ません。 聖書は牧師の不祥事に対する対応としてこのように教えています。

「牧師が実際に罪を犯した場合は、教会員全員の前で責めなさい。 その悪い例にならう人を一人も出さないためです。 あなたがその牧師と親しい間柄であろうとなかろうと、 公平に対処しなければなりません。」
  (テモテへの手紙第一5:19-21 リビングバイブル訳)

しかし、今日の教会はどうなのでしょうか? 密室で行われる牧師の卑劣な性犯罪の問題を 牧師たち自身が庇いあい、あっという間に事件を風化させて問題を提起する人々を 教会から追放してサタン呼ばわりするのであれば、被害者の心痛はいつまでも癒されることがありません。

今、教会として真実を直視する勇気を痛みを伴っても持たなければ (真理とは、時に痛みを伴うものです)、今後も牧師が独裁者と化して教会では類似の犯罪やパワハラ、 金銭の搾取などの事件で逮捕者が出る可能性があるでしょう。 日本のキリスト教会が、カプセルの中に閉じこもっているような閉鎖性を打破するために、 教団、教派を超えて、健康なキリストの体である公同の教会の姿を求めて、聖書に帰り、 悔い改め、祈り会い、話し合うことをはじめる必要があると痛感しています。


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